コラム

おじちゃんが死んだ

おじちゃん、もう手術できんって。

栄養失調になっとるし、食事もできんし、面会も制限されとる。

10日くらい前だったか、お母さんからそう連絡をもらった。

おじちゃんは父方の2番目のおじちゃんで、大工で大酒飲みでひげをきれいに伸ばしててしゃれたおじちゃんだった。

台湾での結婚式にも来てくれた。

目がギョロっとして、お酒の席では時々乱暴な口調になるおじちゃんが小さい頃はちょっと怖かった。

しゃっくりが止まらない私の首の付け根をぎゅーーーーっと押し続けて、痛い痛いと半泣きで叫び続けても辞めてくれないおじちゃん。

酔ったおじちゃんは「ほーら見てみろ!しゃっくりが止まっただろ!!」とガハガハ笑っていた。

田舎に住むおじちゃんと市内に住む私たちが会うのは1年に2~3回。

でも、父方の長男とおばあちゃんが亡くなってからだった。

親族が集まる機会はぐんと減った。

そんな中、おじちゃんとお父さんは、たまに一緒に釣りに行くようになった。

もともと釣りに行っていたのはお父さんだったので、父の計らいだったのかもしれない。

二人がどんな心境だったのかはわからないけれど、はたから見れば、あえて兄弟の時間を作ろうとしているようにも思えた。

だからこそなのか、容態が悪いと聞いた時、私は耳を疑った。

ついこの間、1月31日にお父さんと釣りに行ったと聞いていたから。


※「兄貴と釣りに行きました」と近況報告をくれた父

え?最近まで元気だったよね?おじちゃん釣りも行ってたじゃん??

すると、「もう最後かもしれんってあの日は家を出たんだって」そう聞かされた。

おばちゃんは病院に行けと心配していたのに、釣りに行くといって聞かなかったらしい。

自分の死期が近づいていることをわかって、釣りに出掛けたおじちゃんを思うと涙が込み上げてきた。

私は、おじちゃんの死が思いの他ショックだった。

父親のがっかりした様子が脳裏に浮かんだからである。

スマホが苦手な母に変わっていつも連絡係を担っている父が、家族チャットの中で沈黙を貫いていた。

男兄弟で残ったのはもう父だけ。

さみしいだろうなぁと思った。

同時に、親の死を意識した瞬間でもあった。

私にできる親孝行があるとすれば、中国語をがんばって人生を楽しむこと。

最後まで読んでくださり、ありがとう。ありがとう。ありがとう。

それではまた。